【17時30分からなのに17時15分からTVの前で、じーっと待っていたこと】4~5歳 ()
僕が4~5歳の頃、三重テレビでは17:30から番組が始まった。今はずっと放送しているけど、当時はこの時間にならないと番組が始まらなかった。時間になるまでは、三重テレビのマークだけしか画面に出てこない。まだかまだかとテレビ番組が始まるのを待った。 僕はテレビをつけることができないので、前もっておおばあちゃんにこのチャンネルをつけてもらっていた。いざというときに人がいないので、ずっとつけっぱなしになっていた。当時はリモコンというものがなく、テレビについたボタンだけでチャンネルを替えていた。今ではヘル
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【ヘリコプターに乗った話 小学部1年】 ()
小学部1年だったある日、父が「正人、ヘリコプターに乗ってみたいか?」と突然言い出した。長島スパーランドでヘリコプターの搭乗体験のイベントがあるとラジオで聞いたらしい。僕は高所恐怖症なのでそんなに興味はないなぁと思っていたが、そこに母が入ってきて「面白そうやないの、乗せてもらおに!」と言い出した。父も母も決めたら行動は早く、次の日曜日に行く事になった。僕は心の準備もできないままだった。 次の日曜日になり、朝9時に家を出発し、10時頃には長島スパーランドに到着した。遊園地はかなり混んでいた。僕たちは
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【雨の日の父との思い出】4才ころ ()
僕が4歳頃の話。当時、庭にはポリバケツほどの穴があった。その穴は砂場遊びが好きだった僕のために父が掘ったものだ。遊びは進化して、父は穴と屋根からつながる雨樋パイプをトンネルで繋げた。ホースで水を送るとトンネルを通って穴に水が流れ込む。その様子を僕はキャッキャ言いながら楽しんでいた。 しかし、この穴が問題を引き起こしていた。大雨が降ると穴から雨水が溢れ出し庭が水溜まりになってしまうのだ。水が溜まると土がぬかるんで、車イスで進めなくなる。それを気にしていた父は梅雨になる前に何とかしたいと考えていて、
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【鈴木家の恒例行事 ~月一のお伊勢参り~】 ()
僕が生まれて1歳になった頃から、鈴木家ではお伊勢参りに行くようになった。父と母と僕の3人で外宮と内宮をお参りするのだ。僕が生まれてから3人で出掛けることが少なかったので、母が「月に1回はお参りしよう」と提案したのが始まりだった。これは後に妹が生まれ、僕が二十歳になるまで毎月の恒例行事となった。 お参りに関してはあまり覚えていないけど、内宮に流れている五十鈴川がとても綺麗だったことが印象に残っている。川には沢山鯉が泳いでいて、参拝客がエサをあげるためとても人に慣れていた。母はいつもエサをあげていた
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【クラブ活動】小学部高学年 ()
クラブは活動が可能な学年(小学部4年生から高等部)の皆で同じものを行う。週に1回、40分。金曜日の6時間目にする。学期ごとに活動内容が決まっている。1学期の活動はゴロ野球。2学期は風船バレー。3学期はサッカー。このサイクルは卒業までずっと同じである。歩くことが難しい生徒一人には、一人の付き添いの先生がつく。 1学期にしたゴロ野球とは、足を使った野球で、風船をボールにして行う。野球と同じように、木製バットを使ってボールを打つ。バットを持たずに、足でボールを打つ人もいた。車イスに乗ったまま、できる
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【小竹先生】 ()
小学部から卒業するまで、ずっと学校の送迎バスに乗って通学していた。 僕らが乗っていた頃の送迎バスは、普通のバスと同じだった。段差があって、車椅子を固定する場所や、車椅子用の座席もない。 だから僕はバスに乗る前は車椅子から降りて、介助員の先生二人に抱えてもらって、座席に座る。一人の先生が上半身を抱え、もう一人の先生が下半身を抱える。バスのステップと乗り場は同じ高さになっていて、バスと乗り場の隙間にスロープのような板を置くので、引っ掛かることなくバスに乗ることができる。座席に座るときは腹だけシートベ
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【5年生のキャンプ】 ()
5年生のキャンプは4年生のときよりも、もっと楽しかった。今年はじめて、中庭でテントを張った。ユキベーと一緒のテントだった。夜の8時半にテントに入った。けど、時間がまだ早かったから、僕もユキベーも目が冴えて眠れなかった。先生が「3クラスでなんかしようか」と提案した。肝試しをすることになった。 肝試しは中庭から体育館まで、生徒と先生の二人一組で向かう。1組ずつ順番に出発していき、体育館の舞台上に着いたらゴールだ。僕は担任の橋本先生と回った。ちょうど台風の日で、風の音だけが聞こえていた。木の影が風で揺
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【人体模型の話し】小学6年生~中学1年生 ()
小学部6年の頃、送迎バスの中で先輩のマーシー(田中雅士)が「中学部は明日からテストなんさ」と話しかけられた。僕は「何のテスト?」と聞くと「保健体育」とマーシーは答えた。僕は保健体育という言葉を初めて聞いたので「それってどんな授業?」と質問した。するとマーシーは保健体育の教科書を見せてくれた。パラパラとめくっていると、僕はあるページにギョッとした。そこには人体の骨や筋肉の写真があった。実は僕はそういったものがとても苦手だった。 それには理由がある。僕は4~5歳の頃、車イスを作ってもらうために松阪市
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【委員会】小学部4年 ()
僕は早く4年生になりたかった。4年生になって、やりたいことがたくさんあったのだ。まずは泊まりキャンプ。そして、生徒会に立候補することだ。クラブ活動も4年生から始まる。4年生はとても楽しみな年だった。 一番楽しみだったのが、委員会の仕事だ。鳥の飼育委員、図書委員、園芸委員。委員会の仕事は一つしか選べない。だけど、一年ごとに委員会を替えることができる。いろんなことを経験できる。園芸は、家の中で経験できるからいいや。だから、園芸委員は選ばなかった。 最初にやったのは、鳥の飼育委員だった。委員会の中でも
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【バスの待ち時間】学生時代 ()
僕の学校には送迎バスがある。高等部に入るまでは、僕も送迎バスの座席に座っていた。送迎バスを運転するのは、三重交通の運転手だ。毎日、固定の慣れた人が運転する。そこに介助員が一人つく。 僕達の送迎前に、三重交通のバスの仕事をしてからやってくる。普段とは違う運転手がバスを運転することがあった。年に1回あるかないかだけど、慣れてない運転手のときは送迎バスが遅れることもあり、学校でバスを待たなければならなかった。 その時は、普段話さない先生と話せて、面白かった。何を話したかは憶えていない。けれど、先生と笑
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